「内々うつつ神社」という愛知県春日井市にある神社に行ってきました。この神社はヤマトタケル伝説や神社庭園で有名なのですが、もっとも印象的なのが崖に作られた『奥の院』です。まるで三佛寺投入堂(鳥取)を彷彿とさせる「奥の院」と巨石『天狗岩』、星の神『内津妙見寺』について書いていきたいます。
三佛寺さんぶつじ投入堂なげいれどう Saigen Jiro – 投稿者自身による作品, CC0, Link
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庶民の道「下街道」と難所・内津峠
この「内々神社」はそもそも、昔の「下街道」*1沿いにあり、尾張と美濃の国境で難所だった内津峠をのぞむ場所にあります。


峠道はロードバイカーに人気の場所となっていました(車はこの北の19号を走るため、交通量が少なくひっそりしているのも嬉しいところ)。

①「奥の院」(=巌屋いわや神社)

さて、この「内々神社」の地図、かなりファンシーだ!と思っていました。庭園からちょろ~と行ったところに奥の院がある(?)というので、庭園から道を探しますがよく分りません。庭園裏はゴロゴロした岩場でイノシシ除けの電気柵が巡らしてあり、道があるのかないのか?という感じでした。

いったん社務所に戻り、「奥の院」のことを尋ねると地図を頂けました。西側の川沿いの舗装路を行くのが初心者には分かりやすいようで、神社からは数百mの距離でした。





昔はこの鉄階段はなく、鎖やハシゴだったといいます。(高所恐怖症で怖いものの)立派な階段を使ってお参りできることに深く感謝しなくては‥。

巌屋の中
こんな崖の穴に社があるとは‥、にわかには信じられません。昔の人はよくこんなところを見つけたなと思うし、この場所をずっとお祀りしてきたというのも驚きです。

さて、内々神社のご祭神は健稲種命たけいなだねのみこと*2といい、最初に祀られたのがこの場所であったといいます(ここが最初の地かと思うと感慨もひとしお。訪ねてきた甲斐があるというものです)。
(健稲種命は、古代の尾張国造でヤマトタケルの義理のお兄さんにあたります。妹はヤマトタケルの妃になった宮簀媛みやづひめ)
ヤマトタケルはここ内津で、義理の兄・健稲種が駿河の海で水死した、という早馬の知らせを聞き、「うつつかな、うつつかな(現哉現哉)」と泣き悲しんだという伝説が残されています。*3
その水死した健稲種命を祀ったのが「内々神社」の始まりといいます。

②巨岩「天狗岩」
さてもう1つ見過ごせない岩があります。それは、庭園の背景にもなっている「天狗岩てんぐいわ」という巨大な岩です。




全くサイズ感が伝わらない写真ばかりですが、高さ数mの切り立った岩盤でここにも岩穴が開いています。「天狗岩」も「奥の院」と同様に神聖な場所ではなかったかな?と思うのですが、素朴なお庭の中に自然と佇んでいます。
また、この「天狗岩」はお庭の影向石ようごういし*4である、という説明もみました。影向石が庭園の一部になっているようなものを私はよく知らないのですが、京都の西芳寺(苔寺)などにあるようで、なにしろこんな大きな影向石自体、珍しいものだと思います。
③武運の星神『内津妙見宮』
さて、ここを訪れた最大の理由は、中世、妙見菩薩を祀る「妙見宮」として名高く、「3大妙見」の1つであったという説明を見たからです。*5

江戸時代、内津神社の主役でもあった妙見様ですが、明治の神仏分離により、現在は神社とお寺という形で隣り合って建っています。ひっそりと佇むお堂からは往時の様子はあまり分かりません。


当初、神社にお祀りしていたのは水死した尾張氏の祖・健稲種命たけいなだねのみことでした。中世に妙見菩薩をお祀りするようになり、神仏習合をして「内津妙見宮」をなのるようになります。
④神社庭園と立川流
内々神社庭園の作庭者は、夢窓疎石(むそうそせき 1275-1351)と伝えられますが、江戸時代の作庭(本殿建築時の1804年-18年)ではないか?という考察もいくつかみられます。
(夢窓疎石のお庭といえば、京都・天龍寺、西芳寺などが有名で作風が違う気がしたのですが、今回調べてみると「内々神社」とソックリなお庭も見られました。驚)
作庭だけでなく、神社本殿の造作も見どころの1つとなっています。


社殿の完成は文化年間(1804-18)で、分業体制をしいた立川流*6によるものです。上手ですね!

③「内々神社」のお守り


「内々神社」の境内にはサルスベリに松が共生した木があり、「すべらずの松」と呼ばれてそのお守りは受験生などから人気となっていました。また、「妙見寺」のお守りは北斗七星と月といういかにも星神・妙見様らしいデザインが嬉しいものです。

さいごに
内津という場所は平地が少ない、狭隘な場所です。それはここが山中の峠道だったから、当然なわけですが、神社は狭い場所に建てられ、せっかくの庭も見通しが悪く押し込めたような印象です。
庭の正面にあればしっくりくる「天狗岩」も庭の右側、視線の外にずれていたり、崖地に建つ「奥の院」といい、狭すぎることが奇妙な感じを受ける理由の1つなのかなと考えています。
また、「神社庭園」自体珍しいものですが、当初の巨岩・岩屋信仰が、中世、妙見信仰の寺社となることで、神仏が来臨する場としのて池や島が造られ、現在の「内々神社庭園」になっているという説明を読んで、その変遷も興味深く感じています。
このミステリアスな場所は修験場でもあったそうで、まだまだ内津の山には発見があるのだろうと思いながら、
以上、『断崖の上に造られた窟屋『奥の院』に感動する』でした!ではまた!
【大変参考になったサイト】
◯佐田春男『愛知県春日井市「内々神社」と「内々神社庭園」、さらに隣接する「内々妙見寺」における「神仏習合」についての考察』
◯高橋敏明氏「妙見菩薩の庭 ~内津の庭園4つの謎~」『郷土誌かすがい』第77号(2018年)


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