視力失い、自殺も何度か考え…全盲の中学教諭が定年 妻らの助言支えに、教員生活全う「生徒たちにも感謝」(埼玉新聞)

視力失い、自殺も何度か考え…全盲の中学教諭が定年 妻らの助言支えに、教員生活全う「生徒たちにも感謝」(埼玉新聞)

3年生の生徒と学校生活を振り返る新井淑則さん(左)=1日、皆野町立皆野中学校
 「多くの人たちと出会い、限りない人たちに支えられたおかげで職務を全うできた」。今月末で定年退職する全盲の教諭新井淑則さん(60)は、最後の赴任先となる埼玉県の皆野町立皆野中学校で誇らしげに語った。大きなハンディキャップを背負いながら、生徒一人一人の成長を見守り続けてきた新井さん。「生徒たちにも感謝したい」と40年近い教員生活をしみじみと振り返った。

 皆野町出身の新井さんは、中央大学卒業後、新任の国語教諭として東秩父中学校に赴任。秩父第一中学校から横瀬中学校に異動した28歳の時に、右目が網膜剥離を起こし、視力を失った。「初めて務めた担任とサッカー部顧問を辞めることになり、残念な思いもしたが、片目でも不自由なく生活できた」と、当時は前向きだった。

■妻からのひと言で

 人生最大の試練は、左目も同様に網膜剥離を発症した34歳の時に訪れた。6度の手術のかいなく視力を失い、当時勤務していた秩父特別支援学校を休職。自宅で半年間続いた引きこもり生活の中で、新井さんは何度も自殺しようと考えた。しかし、「それなら子ども3人と家族全員で一緒に死にましょう」と、妻から告げられたひと言が人生を大きく変えた。

 「大切な家族を犠牲にはできない」と、新井さんは同じ境遇に立つ仲間たちと共に、日々リハビリに励んだ。「全盲でも教師は続けられる」と、先輩教諭からの助言が支えとなり、発症から3年後に復職を果たした。

 2008年に長瀞中学校に転任。14年には全盲で中学校の担任を持つ全国初の教諭となった。15年からは母校の皆野中学校に移り、今年度は国語とクラスの副担任を受け持った。

■気さくな先生

 新井さんは教員の傍ら、自身の体験談をつづった著書を3冊出版。また、「心はいつもバリアフリー」と題した講演会を、コロナ禍前まで毎月1回実施した。

 こうしたことから、皆野中の生徒たちは入学前から新井さんを知り、関心を抱いていた。

 3年生の太幡琉美花さん(15)は「駄じゃれが好きで、よく笑わせてくれる先生」と、新井さんの気さくな一面を紹介。児玉紗奈さん(15)は「みんなの名前を覚えてくれて、優しく接してくれる」、四方田航さん(15)は「生徒一人一人を平等に、大切に扱ってくれた」と感謝した。

[紹介元] 埼玉新聞 – Yahoo!ニュース 視力失い、自殺も何度か考え…全盲の中学教諭が定年 妻らの助言支えに、教員生活全う「生徒たちにも感謝」(埼玉新聞)
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